2007-02-01から1ヶ月間の記事一覧

●「サルベージュ」11号、2006年(平成18年10月)刊、感想批評

我が郷土の同人誌「サルベージュ」11号が発刊された。昨年(2006年、平成18年)の秋である。 11号発刊に関しては、主催者と連絡がとれなくなり購入が不可能となった。そこで、市立鳥取中央図書館に購入を依頼しこのような資料は普通なら貸し出しできないのだ…

 ●「赤頭巾ちゃん気をつけて」が「パクリ」と思っている読者へ

芥川賞作品の一回目から、六十一回目のこの「赤頭巾ちゃん気をつけて」までは、「このような日本語」で表現された作品はなかった。この作品までは、である。作品そのものを読む限り「このような日本語」を庄司薫は、意識的にかどうかは別にして、過去の65…

●「赤頭巾ちゃん気をつけて」庄司薫

芥川賞作品の最近の若い作者の「文体」傾向の特徴は幾つかある。それは、小説表現が目指した「言文一致」が過去の作家の表現と比べて高度に進んでいること。限りなく「私」の感情感覚に密に接近していること。従って、モチーフやテーマを思考するとき、深く…

●1、「年の残り」丸谷才一

もう何度も芥川賞最終選考5、6編の候補に挙がって、年齢やら文体やらが毎回ぴったりせず、中途半端なまま落とされ、この人はもう自分の世界を持っているから芥川賞候補でもあるまい、などと評され、ずるずると今回まで受賞を逃してきたのが、丸谷才一であ…

[文学関連、芥川賞」●2、「三匹の蟹」大庭みな子

ベトナム戦争の頃の日本女性って、まだまだ耐える事が美徳であるような観念を持たされていたと思うが、大庭みな子の「三匹の蟹」の女主人公は違っているようだ。実をいえば、心底違っているのではなくて、上辺だけのようだが、たとえ表面的であったにせよこ…

●丸山健二のデビュー作「夏の流れ」

「時間」という概念は不思議なものである。その概念は人間固有のものではないかと思うこともある。時がカウントされ始めると、それはどこか「進行」するイメージがあるが、実は、その先へ進む感覚は宇宙時間などとは違うのではないかと思わせられる。それは…

 ●「徳山道助の帰郷」(柏原兵三)、昭和42年度受賞作。

これまで、芥川賞作品ばかり58作読んできて、日本語もなんと多数の表現が可能な言語だろうと思わせられてきた。グローバルな英語に匹敵するほど、一地域の少数言語の仲間なのにである。 柏原兵三の「徳山道助の帰郷」という作品もそういう言語表現のうちの…

 ●「文体」と「世間」

いずれ登場するが、2006年「沖で待つ」という作品の芥川賞受賞作家、絲山秋子の新作短編集「エスケイプ/アブセント」を読まれたでしょうか?まだでしたら、ぜひ一読をお勧めします。 大城立裕の「カクテル・パーティ」の二人称文体にしろ、絲山秋子のこの短…

[文学関連、芥川賞」 ●初登場、沖縄の作家大城立裕の「カクテル・パーティ」

「沖縄諸島」という地球上の場所は不思議なところである。現在、たまたま日本語が通用するものだからそれほど奇異には感じないけれども、日本列島の東京以外の地方ということになっているけれども、歴史や民俗学に少しでも触れるとわかるように日本の一地方…

第五十六回は丸山健二の「夏の流れ」。そして沖縄の作家初登場。

 ●「世間」を問い続けた、安部謹也氏最後の総まとめ!(余話)

ドイツ中世史が専門で、その研究と共に50年間、日本人である「私とは何か」を究極の命題として常に問い続け、日本と西欧の差異を観るのに「世間」という彼独自の視点を設定して「いかに生きるべきか」を見出した安部謹也氏の最後の総まとめともいうべき書…

 ●ガンバレ、中村文則クン!新作登場! (余話)

久々に中村文則クンが長編を書き下ろした。昨年は、文芸誌掲載の小説を批評家たちと共同で座談風にやっていたが、初期の志である精神の「闇」の「善悪」への追求は健在であった。その更なる掘り起こしの作品である。「最後の命」というタイトルで、「群像」…

 ●高井有一の40年後の作品に偶然出会ってしまった。

全く偶然のことだが、芥川賞第五十四回受賞の「北の河」(高井有一)を感想したばかりだったが、彼のその40年後の作品に一気にお目にかかることになった。全くラッキーな偶然である。「文学界」二月号の冒頭に「鯔(ぼら)の踊り」という新作短編が掲載さ…

 ●第五十四回は「北の河」(高井有一)

この作品を読みながらずっと感じ続けたことがある。それは、大抵の読者が、読みのどこから来るのか漠然と感じさせられつつも明確には掴めない、ある選別的な余韻、多少気取ったと言おうか、取り澄ましたとでもいうべきか、小説語りの独特な調子と言おうか、…

 ●第五十三回芥川賞作品「玩具」(津村節子)

芥川賞も50回を超えると開設以来30年近く経過することになる。石川達三などは、この賞を一回目で受賞し、後に選考委員となり、この段階でもまだ続けているのでデビューからずっと芥川賞まみれである。それに比べると、川端康成などは一回目からの選考委員で…

 ●やっぱり、エンタテイメントはどこか変! 小説ならどうなのか?

映画「ホテル ルワンダ」を観た。公式サイトはここ、(http://www.hotelrwanda.jp/) 1994年、ルワンダで起きた内戦での虐殺を「描いた!」映画である。100日で百万人が虐殺された中で、1200人を外国企業のホテル・ルワンダに匿い困難の末助けた男の実…

 ●文豪の探偵もの作品、九作を。(余話)

長いインターバルが続いています。もう残り少なくなった今年、2006年ももうすぐ終わりです。今日は、休憩中に読んだ、「文豪の書いた探偵小説」の読後感を言説してみたいと思います。 今でこそ「探偵小説」はジャンル化され、固定化され、すっかりエンタ…

●「精神」と「脳」を一つにする「表現」とは何だろう?

「されどわれらが日々」で暫く芥川賞読破の時間を止めております。その間やっていることといえば、ずっと気にかかっている「脳と文学」についての考察で、茂木の考察はずっと文芸寄りでわかりやすいのだが、もうひとつ文学の「表現」の新規な方向が見出せま…

 ●参考までに、柴田翔の受賞のことば!

さすが、学者な作家(文学者)の受賞のことばである。誰かって?もちろん、「されどわれらが日々」の柴田翔のことである。作中の主人公である「私」、すなわち「大橋」とそっくりな言説ではないか。そこには、感情的な要素は一つもあらわされていず、徹底し…

 ●なんだか、とても印象批評な「されどわれらが日々」(柴田翔)

柴田翔の「されどわれらが日々」を読み返すと、この頃、正確には、作者とわたしは10年の年の隔たりがあるので、この本を手に抱えて、手当たりしだいのページを捲っては読む、そのどのページもわたしの、その頃の「今」にぴったりフィットした感覚を共有し…

●懐かしい「されどわれらが日々」(柴田翔)の思い出

芥川賞作品を読むには、今、文藝春秋社から専用の全集が発売されています。現在までのところ、19巻まで発売されているようです。わたしはこれまで市立図書館のものを利用していたのですが、どうも、他にも読んでいるらしい人がいて、7巻と8巻がなくなってい…

●第五十回芥川賞作品「感傷旅行(センチメンタル・ジャーニー)」(田辺聖子)

第五十回芥川賞作品は、田辺聖子の「感傷旅行」である。時代は昭和三十八年、彼女が35歳のときの作品である。大阪勢である。表現世界に大阪勢というか、関西風というか、そういった一味違う作風や姿勢が存在するようである。彼女も含めて12名で同人誌「…

 ●河野多恵子の「蟹」

第四十九回で後藤と同時受賞した河野多恵子の「蟹」に触れておく。 現在でこそ、河野は「小説の秘密をめぐる12章」などという、小説表現技法のような、評論のような作品で、すっかり作家然として、「新人の作品を読むときは緊張するが、年季の入った作家の…

 ●芥川賞が発掘した独特な小説世界、戦後初期編。

●第四十七回(昭和三十七年)受賞作、「美談の出発」(川村晃)。 ●第四十八回(昭和三十七年、下半期)、受賞作なし。候補作は、「美少女」(河野多恵子)など。 ●第四十九回(昭和三十八年)受賞作、「少年の橋」(後藤紀一)、「蟹」(河野多恵子)。 こ…

●第四十五回はなく、四十六回の受賞は「鯨神(くじらがみ)」(宇能鴻一郎)

名前だけを知っていて、それが、世間的評判の一人歩きで勝手な作家像を作り上げているといった作家がわたしの中で時たま存在している。宇野鴻一郎もその一人であった。たまたま、この企画で、唯一受賞作に接することができたというわけだ。だから作者と作品…

第四十五回はなく、四十六回の受賞は「鯨神(くじらがみ)」(宇能鴻

●創作の裏側と読書の裏側の共通項。

毎回、芥川賞作品を読んでいて疑問に思うことがある。最終的に選考委員の手元に上がってくる、五つくらいの作品が、これまでにどんな理由で選ばれているのかもそうだが、この最終段階での選考委員、個人個人の思惑にもよるだろうはずの、この結果がどんな理…

 ●芥川賞作品読みのあいまに。

文芸誌「群像」の今月号に、ローランド・ケルツの「なぜ日本文学はアメリカで読まれているのか」という「講演」の翻訳が掲載されていた。これを読む限りにおいては、日本文学は決して悲観的な状態でないのが読み取れる。我々は、内側にいるのでその現状があ…

●真の意味でのサイエンス・フィクションは我々読者をどこへ導くか。

読む側(鑑賞する側)から、「表現物」というものの全体を、とりわけ芸術作品とよばれているものの全体を、歴史的にも鑑賞法からも、その「真偽」の詮索にかかわって統括的に把握するのが、茂木健一郎の視点だとすれば、それでは創作する側、作る側からもこ…

 ●第四十四回は、わたしの評では最悪の「忍ぶ川」(三浦哲郎)

小説を読んでいると、毎回異なるさまざまな人間の生き様に出会う。芥川賞小説の場合もそうであるが、読後感が、世間知的納得に流されない味わいがあるのが、ほかの賞の作品と違っているところであろう。同じ人生に見えてしまうものも、作者によって、その同…