●なんだか、とても印象批評な「されどわれらが日々」(柴田翔)

 柴田翔の「されどわれらが日々」を読み返すと、この頃、正確には、作者とわたしは10年の年の隔たりがあるので、この本を手に抱えて、手当たりしだいのページを捲っては読む、そのどのページもわたしの、その頃の「今」にぴったりフィットした感覚を共有していたのは当然としても、作者の感性とは、時代的に10年の差があることになる。10年先をいく作者の書上げたこの作品の「今」(彼が27歳のとき、昭和37年)と、わたしの「今」(17歳)が共有できたといっては少し、ズレが生じる。なぜなら、わたしの17歳はまだ田舎の高校での、ほとんど政治抜きの人間関係の中でアイデンティティを蓄積中だったからで、実際にこの作品もまだ世にでていず、芥川賞も受賞してはいなかった。作品の年譜を見ると、この作品を書上げて柴田翔は東大独文科助手を休職し西ドイツに留学していて、ゲーテ研究に専念している年で、この作品は同人誌「象」に発表し、それが「文学界」に例のごとく転載されなければ、芥川賞には引っかからなく、そうならないと、わたしが読むわけにはいかないからである。

 わたしが、この作品を読み始めたのは、やっと二十歳になってからで、芥川賞受賞が決まって1年過ぎてからである。1960年代ももう半ばの頃である。しかし、「されどわれらが日々」という作品は、作中人物の面々が高校時代からの実際から関わっているので、それがわたしに実にフィットしたのである。この小説の語りは、大橋という主人公が彼に関わる人物を章立てとして独立させ「独白」や「手紙」形式でその人物を表現し、その中に自分自身の「表現」も、小説全体の素地として纏められているかなり長い中篇の作品となっている。

 「されどわれらが日々」という作品は、この時代の高校から大学、そして大学院、助手、就職という期間を、時代と向き合いながらの、そういう「周辺に位置する人間」の「自分を決定していく」物語である。この時代のエリート層が形成されていく過程が見える物語でもある。今では多くの企業や学問や文科的機関に関わっている中心人物の成長自己決定の物語、あるいは団塊の世代のエリート層の心的中核を示す物語が描かれているといってもよい。対比されるのは、高校の頃からマルクス主義、といっても、実際は共産党主義とでもいう、実際の活動に関わる人物が挫折していく人間であり、恋愛や情事や結婚という現実に対比される「女」という人間であり、職業と化しつつある「学者」という人間である。この作品に登場する人間たちが、上層で残していった社会状況が平成の「今」の状況の一部であることは確かである。さまざまな今の綻びは、この小説の、あの頃の「今」に遡って、その心理を検証すると、あっ、ここで綻びたんだ、ここで屈折し、縺れたのだといった事が見えてきたりする。政治の現実も、人権の綻びも、ここで「ウッチャッテ」しまったのだ、ここで考察から除外されてしまったのだ、といった不備も見えてくる。少なくとも、その頃大学まで、ミソも糞も進学した、団塊の世代の人間が、21世紀の今、引退する前に今再び、あの頃を思い出して、どう進路決定したのか、どう時代と合わせ向き合って自己決定して生きてきたのか、それを思考するのにピッタリの小説であることは確かだ。

 ところで、このサイトの「小説の書き方 試論」を著している風見梢太郎氏は、この小説に登場する、高校時代から入党し、「細胞」となって、マルクス主義を「勉強」しながら、「恐怖」いう心理一点で、軍事組織から挫折し、脱落して、一流企業に就職し、自死してしまう佐野という人物の正反対の人物なのだが、残念ながら「されどわれらが日々」には、強く佐野の反対を生き切った人間の内側を示す人物は描かれていない。この小説にはその部分が描かれないのが残念である。しかし、その描かれていない、そちら側の内面は彼の「けぶる対岸」という短編集に、直接にではないが、客観描写で描かれたものがあるので、参考になるだろう。

 このころがいくら「成長とともに闘争の時代」だったとはいえ、だれもが、高校時代という若いときから正義や真実の証明としてマルクス主義に染まるというのは一般的ではなかったであろう。だから、それら真実をマルクス主義の勉強という現実の時間の流れの中において思考しつつ大人への時間を費やすためには、「宗教を選び取って信じる」といった行為と同じ性質のエネルギーが必要だったはずである。このエネルギーが曲がりもせず、どんな挫折もなく今日まで維持できるには、相当の信念がなければならないだろう。こういった性質の作品は、風見氏の中にわたしはまだ見出していないのが残念である。しかし、薄っすらと、「されどわれらが日々」と比較して、考えられるのは、この小説の語り手である大橋の、小説に描かれた「信念」こそは、生きる力としては同質のものがある。実際のところ柴田は、現実に職業としてドイツ文学者を選び、その位置を信念としているように、この小説は読み取れるからである。この「信念」が揺らぎそうになるのが、大橋の許婚である節子という女性の存在である。この頃やっと起こりつつある、女性の内面での自立心が、ずっと平穏無事で結婚に踏み切る二人の間に、刺のように立ちはだかるからである。「私も大学院くらい出ていれば良かったわ」と言わせ、自殺し転向した佐野の長い「理由」の手紙(これは一章立てになっている)を読まされて、そう思い始めるからである。この小説は、もう一つの今日的なフェミニズムへの女性の方向をも示唆しているのである。

 示唆といえば、この主人公大橋は、許婚との結婚を引き受けるについて、その決意も描かれているのだが、所謂、性的アイデンティティにおいて、一般的でない部分が含まれる。学者の「常」、学者の奇癖方向といってしまえば、世間には簡単に通ってしまいそうな、考察されない部分が暗示されている。そこには、恋愛や、情事や、遊びと、「結婚」という制度を、明確に分ける、制度的な結婚に安住するような質が描かれている。今でこそ、この点にもメスが入った時代だが、そこまではこの小説は選びきっていない不満も残る。作風がリアリズムを旨としながらも、風見氏などの表現するリアリズムとはまた違って、ファンタジーと科学を綯い交ぜにする形式への発展傾向を含ませているということもできる。そこが、この小説がまだ生きる意味なのだろうと、わたしは思うのである。

 それにしても、この小説は、学会や論題の、所謂、文化人と呼ばれる人々の、その核の部分を、その保守的な心理の綾、悪しき要素をよく描いていると思う。「真理」が追究できる、絶対自然、すなわち、あくまでどんな倫理規制も伴わない「自由」な掘り下げ、分析言説(この物語の小説語りの特徴)を駆使してまでも掘り下げる「自由」への徹底的結果でさえ、やはり掘り下げ不足が生じてしまうのだから、人の一生の結果を、27歳というこの時期に描ききるというのは、いかに至難の業かがよくわかるのである。芥川賞選考委員たちは、よくぞ、こういう作品を一位にしたものである。タイトルだけが、今でも輝いて、「されどわれらが日々」なのである。この作品の選考には、川端康成井上靖井伏鱒二は欠席である。作者の柴田翔は、受賞後、大江健三郎との共同歩調のような目立ち方をメディア世間ではしたのだが、その後、三島由紀夫の自決が迫っている、世間では、いかにも地下戦争に入ったかのように、学者の世界に埋没してしまった感がある。