●参考までに、柴田翔の受賞のことば!

 さすが、学者な作家(文学者)の受賞のことばである。誰かって?もちろん、「されどわれらが日々」の柴田翔のことである。作中の主人公である「私」、すなわち「大橋」とそっくりな言説ではないか。そこには、感情的な要素は一つもあらわされていず、徹底して学究的である。大江健三郎の受賞の「ことば」もそうであった。しかし、それは、やはり、学際的であるほどにも考えさせられる、「ことば」であるので、ここに挙げておきたい。

 「芥川龍之介は、1916年(大正五年)二十四歳で”鼻”を書き、夏目漱石の賞賛を受けて、文壇に登場した。十年の後、1927年(昭和二年)彼は自ら命を絶たなければならなかった。芥川の初期の作品は、頭で考えられたこしらえ物で、晩年の作に、彼は漸く自らを書きえたとする、自然主義的芥川観に、私は賛同する訳ではない。また芥川程に賢すぎる男が、初期の盛名に己の暗い資質を忘れていたろうと思いもしない。彼は”鼻””芋粥”で、人生の『凄まじい空中の火花』をとらええぬ自分を見つめていたし”手巾”では、更にその歴史的状況を探っていた。
 作家の生と作品の関係は一様ではない。作品を書くことが、作家にとって、生へ戻る努力である場合もあれば、作品を書くという認証行為が彼を死へ追いやることもある。芥川にその一つの典型が見られることは疑えないだろう。そして、彼の文壇的登場の華々しさと、その暗い死との対照があまりあざやかなため、彼の運命を考えると、作家というものは、自らの生と作品とのからみ合いを、どれだけ前もって予感できるのか、ふと、戦慄に似た疑問を感じない訳に行かないのである」(柴田翔、受賞のことば)。

 この言説は、受賞の感情を表しているというよりも、「小説」というフィクションと実際の作者を、よく混同して論じる読者の陥りやすい作為への痛烈批判とも取れるし、自作「されどわれらが日々」と作者柴田翔を一緒に考えるなという防壁でもあるように響いてくる。三島由紀夫の死後、その作品から、三島の実生活がよく混同されて、彼のあらゆる資料が、彼の「文学」と一緒くたに論じられるような辟易さへの警鐘的言説でもある。いかにも、科学者風である。いや、ドイツ文学からそれは来るものなのだろうか。