2007-01-01から1年間の記事一覧

「芥川賞受賞作品を読む」というブログを立ち上げて、もうすぐ一年になる。弁解するつもりはもうとうないことだが、状況くらいはここにメモしておきたい。 芥川賞受賞作品は、今年の作品でおおよそ150作品くらいになるので作品数からいえばそれほど多くはな…

●久々に「映画」を楽しんで考えさせられた事。

映画からの感情移入は、おそらく誰もが経験済みのことと思うがとても強烈である。それは全身的と言おうか、人物と一体化してしまうほどの影響力がある。若い頃は、観た後のこの一体化の感情が一日中持続して、その映画に衝かれたような現実感の生の喪失状態…

●「サルベージュ」12号が発刊された。

「サルベージュ」12号が今年も発刊されました。内容は以下のとおりです。 小説の部1、「恋に恋して」(安西果歩) 2、「向日葵(ひまわり)」(夏祐子) 3、「青春の断章」(大杉隆士) 4、「朴散華(ほうさんげ)」(小橋菊江) 5、「タッちゃん」(…

●批評という行為

もちろん、書く行為、言語による表現行為のことである。言語が示す「行為」のことではありえない。このことは哲学的思弁をできるだけ思弁的心理の流れに沿って言語化を試みるのに似ている。これを敢えてことわるには理由がある。もとより小説に表現形式が存…

 ●かって「純文学とは何か」に言及した。

それについて、タイ在住の、自らも「言語藝」と称して小説を著し、日大文芸賞を受賞している白石氏から興味あるコメントがなされたので、ここでそのことに触れてみたい。彼のホームページはここです。 彼のいうとおり「純文学」と称する文学的場所は、非常に…

●「文学界」2月号、同人誌評の紹介。

「サルベージュ」11号の中の作品、2作「冬の夕焼」(小橋菊枝)と「ゆき筺(かたみ)」(瀧本由紀子)が批評されたので、その「文学界」2月号の内容を詳しく紹介する。同人誌評の今回の全体のタイトルは「驕慢、怠惰の陥穽」で、評者は松本徹(33年生…

●よかった、よかった!おめでとう!

やっと、「芥川賞受賞作品の読破」の合間に、恒例の雑誌「文学界」を再び読み始めたところであった。今年(2007年)一月号も、この二月号も初めに、まずは一通り目を通していたはずだった。しかし、それは大御所風で通過していた。細部はほとんど省いての通…

●理想の国家を創造したのは良いが、

筒井康隆風小説の異世界も、その裏には実際の現実、背景というものがあって、それがパロディのように、様々なレトリックを駆使して「妄想」される文体世界が、いかにその現実、その実態と乖離するか、この笙野の文体にもある。小説が、こうでもして描かれな…

●「無明長夜」(吉田知子)

「女性」という存在は、もうそれだけで、そのまま「マイノリティ」という特殊存在になってしまうようで、芥川賞受賞の女性作家どれを読んでも、これまでのところ、どこかそのままの実態が描かれていても、実に個人的不満が鬱積しているような気配はどの作品…

●「プレオー8の夜明け」(古山高麗雄)

芥川賞受賞作品としては珍しく、初の「ゲイ」の登場の作品である。メディア的表現の世界では、おそらく芥川賞始まって以来、小説という作品化の世界で主流として描かれた、そのすぐ傍で何やら正体不明の影の存在はずっとあり、それはその作家の主体性の主張…

●純文学とはなんだろう?

純文学とはなんだろう?という問いの答えがますます曖昧になり、一言で定義させることは容易な技ではなくなった。逆に、解りやすく、辞書のように簡潔に説明すればするほど、すっきりした答えは遠ざかるばかりである。日本近代文学成立いらい、何度も、「純…

●昭和44年下半期

「国家」という概念が強固に定着して久しいが、中国という国家にしてみればこのような小説は傍迷惑な話である。勝手に占領し我がもの顔で自国にしておいて、それをわが故郷とされ懐かしがられたのではたまったものではないということになるのだろうか。今現…

●読了予告

第六十一回芥川賞受賞作品「深い河」(田久保英夫)、昭和44年上半期。 第六十二回芥川賞受賞作品「アカシアの大連」(清岡卓行)、昭和44年下半期。 第六十三回芥川賞受賞作品「プレオー8の夜明け」(古山高麗雄)、昭和45年上半期。 第六十三回芥川賞受賞…

●大野晋の総まとめのような対話集が発刊された。

「考古学・人類学・言語学との対話」(大野晋・金関恕)という本である。多くの反対意見がある中で、日本語のインドタミール起源説を唱えている彼の学説がおもしろいのは、その根拠が「人文学」の発想に依っているところであろう。科学が常にまだ未知に対し…

●読者という層をもう少し鮮明に位置付けておきたいのだが、

多くの表現者にとって「読者」という、抽象度の高い重要な概念、しかも表現者の表現物にとって唯一の「相手」なのだから、この概念をしっかり把握しておく事は大変重要である。「近代読者の成立」(前田愛)を読み始めたきっかけはまさにそれである。わたし…

●図書館はすばらしい。

夜勤の多いわたしは昼間のほとんどを図書館ですごすことにしている。ここに来る人間を称して「読者」という。読者というものはとても曲者である。かって「読者」とは、言語表現物の需要者のことを指したが、今は少しニュアンスが異なる。表現物が言語ででき…

 読者の分類がそろそろ必要になってきたネット時代。 

ネットをサーフィングしているとさまざまな情報が飛び込んでくる。初期の頃と違って、その情報は、いかにも制度付けがホンモノらしく付いて、視覚メディアと共通な「メディア造詣的な装い」が凝らされて、その「信憑性」を疑わせることなく一発で信用させる…

 作者たちとの親睦会

読者にとって構造主義文学論である「テクスト論」は、提示された「作品」が全てであって、その感想批評は論に従って、作者の生の声や、横側からの訂正や変更を許さず、作品が表現しているテキスト分析による範囲を逸脱しないようにする批評である。作者のテ…

ガンバレ、中村文則クン!新作登場!

久々に中村文則クンが長編を書き下ろした。昨年は、文芸誌掲載の小説を批評家たちと共同で座談風にやっていたが、初期の志である精神の「闇」の「善悪」への追求は健在であった。その更なる掘り起こしの作品である。「最後の命」というタイトルで、「群像」…

●芥川風と直木風、純文学、大衆小説論争

いったい、日本だけの現象として、なぜ、「純文学」というような命名がなされるようになったのだろうか。昭和10年開設の芥川賞、直木賞以前に、すでに文学史的にはこの命名があり、それは、日本独自の「私小説」というジャンルが発生源と看做されている。…

 筒井康隆の80年代の言説、「文藝時評」を読む。

1993年の文芸季刊誌「文藝」に一年間連載されたものをひとつにまとめた本「文藝時評」(この本は既に売り切れ)を読んだ。だが、評された作品は80年代のものが中心で、純文学系文芸誌の中の作品が多く時評されている。いわゆる実作者がする文芸評論である。8…

● この記事に追加が必要になった(3月12日)。

この日のページに追加しておく。「文学部唯野教授」のその後だが、どうしたわけか、案の定というべきか、この作家の特徴であるが、これをきっかけに遊び始めた。なんと、スブテキスト的に、関連的な言説がこの作家から派生させられていた。文芸誌にこの作品…

●「サルベージュ」11号、2006年(平成18年10月)刊、感想批評

我が郷土の同人誌「サルベージュ」11号が発刊された。昨年(2006年、平成18年)の秋である。 11号発刊に関しては、主催者と連絡がとれなくなり購入が不可能となった。そこで、市立鳥取中央図書館に購入を依頼しこのような資料は普通なら貸し出しできないのだ…

 ●「赤頭巾ちゃん気をつけて」が「パクリ」と思っている読者へ

芥川賞作品の一回目から、六十一回目のこの「赤頭巾ちゃん気をつけて」までは、「このような日本語」で表現された作品はなかった。この作品までは、である。作品そのものを読む限り「このような日本語」を庄司薫は、意識的にかどうかは別にして、過去の65…

●「赤頭巾ちゃん気をつけて」庄司薫

芥川賞作品の最近の若い作者の「文体」傾向の特徴は幾つかある。それは、小説表現が目指した「言文一致」が過去の作家の表現と比べて高度に進んでいること。限りなく「私」の感情感覚に密に接近していること。従って、モチーフやテーマを思考するとき、深く…

●1、「年の残り」丸谷才一

もう何度も芥川賞最終選考5、6編の候補に挙がって、年齢やら文体やらが毎回ぴったりせず、中途半端なまま落とされ、この人はもう自分の世界を持っているから芥川賞候補でもあるまい、などと評され、ずるずると今回まで受賞を逃してきたのが、丸谷才一であ…

[文学関連、芥川賞」●2、「三匹の蟹」大庭みな子

ベトナム戦争の頃の日本女性って、まだまだ耐える事が美徳であるような観念を持たされていたと思うが、大庭みな子の「三匹の蟹」の女主人公は違っているようだ。実をいえば、心底違っているのではなくて、上辺だけのようだが、たとえ表面的であったにせよこ…

●丸山健二のデビュー作「夏の流れ」

「時間」という概念は不思議なものである。その概念は人間固有のものではないかと思うこともある。時がカウントされ始めると、それはどこか「進行」するイメージがあるが、実は、その先へ進む感覚は宇宙時間などとは違うのではないかと思わせられる。それは…

 ●「徳山道助の帰郷」(柏原兵三)、昭和42年度受賞作。

これまで、芥川賞作品ばかり58作読んできて、日本語もなんと多数の表現が可能な言語だろうと思わせられてきた。グローバルな英語に匹敵するほど、一地域の少数言語の仲間なのにである。 柏原兵三の「徳山道助の帰郷」という作品もそういう言語表現のうちの…

 ●「文体」と「世間」

いずれ登場するが、2006年「沖で待つ」という作品の芥川賞受賞作家、絲山秋子の新作短編集「エスケイプ/アブセント」を読まれたでしょうか?まだでしたら、ぜひ一読をお勧めします。 大城立裕の「カクテル・パーティ」の二人称文体にしろ、絲山秋子のこの短…