2007-03-01から1ヶ月間の記事一覧
「国家」という概念が強固に定着して久しいが、中国という国家にしてみればこのような小説は傍迷惑な話である。勝手に占領し我がもの顔で自国にしておいて、それをわが故郷とされ懐かしがられたのではたまったものではないということになるのだろうか。今現…
第六十一回芥川賞受賞作品「深い河」(田久保英夫)、昭和44年上半期。 第六十二回芥川賞受賞作品「アカシアの大連」(清岡卓行)、昭和44年下半期。 第六十三回芥川賞受賞作品「プレオー8の夜明け」(古山高麗雄)、昭和45年上半期。 第六十三回芥川賞受賞…
「考古学・人類学・言語学との対話」(大野晋・金関恕)という本である。多くの反対意見がある中で、日本語のインドタミール起源説を唱えている彼の学説がおもしろいのは、その根拠が「人文学」の発想に依っているところであろう。科学が常にまだ未知に対し…
多くの表現者にとって「読者」という、抽象度の高い重要な概念、しかも表現者の表現物にとって唯一の「相手」なのだから、この概念をしっかり把握しておく事は大変重要である。「近代読者の成立」(前田愛)を読み始めたきっかけはまさにそれである。わたし…
夜勤の多いわたしは昼間のほとんどを図書館ですごすことにしている。ここに来る人間を称して「読者」という。読者というものはとても曲者である。かって「読者」とは、言語表現物の需要者のことを指したが、今は少しニュアンスが異なる。表現物が言語ででき…
ネットをサーフィングしているとさまざまな情報が飛び込んでくる。初期の頃と違って、その情報は、いかにも制度付けがホンモノらしく付いて、視覚メディアと共通な「メディア造詣的な装い」が凝らされて、その「信憑性」を疑わせることなく一発で信用させる…
読者にとって構造主義文学論である「テクスト論」は、提示された「作品」が全てであって、その感想批評は論に従って、作者の生の声や、横側からの訂正や変更を許さず、作品が表現しているテキスト分析による範囲を逸脱しないようにする批評である。作者のテ…
久々に中村文則クンが長編を書き下ろした。昨年は、文芸誌掲載の小説を批評家たちと共同で座談風にやっていたが、初期の志である精神の「闇」の「善悪」への追求は健在であった。その更なる掘り起こしの作品である。「最後の命」というタイトルで、「群像」…
いったい、日本だけの現象として、なぜ、「純文学」というような命名がなされるようになったのだろうか。昭和10年開設の芥川賞、直木賞以前に、すでに文学史的にはこの命名があり、それは、日本独自の「私小説」というジャンルが発生源と看做されている。…
1993年の文芸季刊誌「文藝」に一年間連載されたものをひとつにまとめた本「文藝時評」(この本は既に売り切れ)を読んだ。だが、評された作品は80年代のものが中心で、純文学系文芸誌の中の作品が多く時評されている。いわゆる実作者がする文芸評論である。8…
この日のページに追加しておく。「文学部唯野教授」のその後だが、どうしたわけか、案の定というべきか、この作家の特徴であるが、これをきっかけに遊び始めた。なんと、スブテキスト的に、関連的な言説がこの作家から派生させられていた。文芸誌にこの作品…