2007-02-01から1ヶ月間の記事一覧
医学部出身というのは、なぜかとても好奇心が旺盛なようで、あれこれと書いて見たくなるものらしい(笑)。 第四十二回の芥川賞は、受賞作なしであった。候補には川上宗薫やなだいなだ等が挙がっているが、見送ったようである。このところ、一つ飛びの受賞が…
みなさま、斯波四郎(しばしろう)という作家をご存知でしたでしょうか? 第四十回は受賞作なし。昭和三十四年(1959年)上半期の四十一回目。わたし事で恐縮だが、その頃のわたしは、14歳で、外を知らない井の中の蛙であった。そのくせ、村落共同体の…
一言で「小説」と言っても、読者という存在にとってはさまざまで、それを本という形にして自分の生活圏に取り入れてしまうと、もう我侭に、したい放題である。 読者にとって、その本とのつかの間の関係の時間は、その本の造られた「経緯」に対して信頼性、希…
第三十九回は、大江健三郎の「飼育」である。 大江健三郎の小説を読むとき、常に驚かされることは、単語、文節、文章という枠が、緻密に意識的に、その配列までが計算され尽くしたような選択行為の結果であり、成果だということが強く窺われることである。作…
この後、大江健三郎の「飼育」が受賞することになるのだが、それによって、この時代、この開高と大江は流行作家の双璧となる。すでに、大江は開高受賞のおりに、候補作として「死者の奢り」が上がっているが、「裸の王様」に敗れている。開高28歳、大江25歳…
短編で、こういう題材を描くには、もったいない、あるいは軽さに傾斜する危険性がある。それほどさように、この小説は様々な「死」的示唆を提供している。石原慎太郎の「太陽の季節」が出ても、戦争の傷跡は、いついかなるときにでもその顔を覗かすのである。…
第三十五回の芥川賞は、「海人舟」(近藤啓太郎)である。このタイトルは「あまぶね」と読ませるらしいが、わたしは、「うみ、人、ふね」と読みたい。そうするとこの小説全体を統一するように思えるからである。この作家もわたしには始めての人である。 三島…
戦後の芥川賞は、権威的になり文藝春秋社という一企業の宣伝媒体となり、金の流れが文学の質を決定するような傾向になってしまった感がある。しかし、まあ、「懸賞」というシステム(もちろん芥川賞と公募賞の違いはあるが)がそのような内部を持っているか…
第三十四回芥川賞は、石原慎太郎の「太陽の季節」である。この受賞は、敗戦後からやっと十年たった、昭和三十年である。作者が学生の時、23歳、処女作「灰色の教室」から二作目の作品であった。これまでにあった「敗戦気分」はまったく無いのが特徴である。…
芥川賞開設当初から選考委員として参加していた川端康成などはもうすっかりくたびれたとみえて、「小説を批判する気持ちが減退するにつれて、その能力も減退してきたらしく、単純な読者になりつつあるようだ。最早委員には適任ではないのだろう」と告白して…
安岡章太郎の後、現在知名度の高い作家が立て続けに登場する。吉行淳之助、小島信夫、庄野潤三、遠藤周作、石原慎太郎、開高健、大江健三郎である。読みも自然と休みなく、大江健三郎まで進んでしまったが、これらの作品は芥川賞の場合、短編か中篇なのです…
朝鮮半島の国は、今の日本にとって近くて遠い国などといわれている。それはおかしい。戦後61年も経ったからであろうか。かってその国を占領して、その民族性にも深く入り込み日本色統治をしたような日本が遠い国などとは決していえぬのは当然で、この言い…
昭和二十七年、第二十七回の芥川賞は受賞作なしであった。吉行淳之介や安岡章太郎、小島信夫などが見え隠れするが、受賞には至らないようだ。不思議に思うのだが、三島由紀夫、わたしはこの作家をずっと意識しているのだが、芥川賞選者の目に触れないのであ…
「過去」の文学を読んでいて、現代文学では味わえない、大きな力が存在するのに気がつく。それは、その「小説」を「未来」から観ることができるという、当たり前といえば当たり前の話なんだけどね。このことはしかし、重要な示唆を与えるのである。作家によ…
安部公房の文体と小説の関係はおいおい語っていくことにして、次の受賞作品を読んでいく。 わたしには、あまり馴染みのなかった作家、堀田善衛である。しかし今回、彼の受賞作、「広場の孤独」、「漢奸」を読んで気がついた事は、芥川賞にはこれまでなかった…
第二十五回の芥川賞は二作であった。「春の草」(石川利光)と「壁」(阿部公房)である。「春の草」が、従来の芥川色である、伝統と堅実を受け継いだ作風の作品で、新しい小説を模索するもう一方のこの賞の目的も適う「妙な」作風の「壁」とである。 敗戦後…
サイエンス(科学)は日本語でその支配体系全体を「文明」と呼んで「文化」という呼び名とは一線を画してきた。この分離した状況が統合され始めたのは、やっと最近のことである。それとゆうのも、デカルトの「物質と精神」という二元論的分離を、実は「分離…
異邦人といえばカミユを連想してしまうが、ここにも日本人作の「異邦人」があった。なかなかの秀作だ。敗戦の時期が多感な二十代なら、混乱な時代環境がその人に及ぼす影響は多大なものがあることだろう。永遠に存在するはずもない、他国を奪った植民地に一…
第二十二回受賞作品は井上靖の「闘牛」というタイトルの作品である。敗戦後4年が経過したこの時期、さまざまな「単語」が、いかにも今、現在を思わせるが、その同じ言葉もやはり、今と少しばかりズレたニュアンスがある。この「闘牛」という言葉もそうである…
「本の話」(由紀しげこ)という作品は、学者に嫁いだ姉夫婦の面倒を見る妹の「私」の「グチ」の話であるが、その文体はなかなかのもので、一つ話しに触れると、それを中心にもう次から次に、それに纏わる感情やら薀蓄やらが響きだしてきて、今必要なこの小…
地域にもよるだろうけど、昭和二十年8月以降の、日本の「人の住むところ」主に「都市」は、ほとんどが、新地(さらち)と化したようなイメージがある。わたしは、こういう時にこそ、山間、海辺へと人間は「移動」するものだと思うのだが、人間の移動という…
その時代時代の社会情勢がどのようなものであっても、そこから切り取って描かれる小説の人間物語の「視点」は、一定の文学的普遍性を保っていなければならないということが、今回の昭和10年から敗戦の20年まで続けられた芥川賞選考作品を読んでみて、それが…
昭和20年敗戦までの、日本という国を戦闘に向かわせる「驕り昂ぶった精神」はいったいどのようにして醸成されたのであろうか。考えてみると不思議である。今では、これに似た「精神」は日本の場合、サッカーの国際試合においてくらいにしか見られないように…
我々戦後派にとって、丁度、昭和10年(芥川賞が始まった年)頃から敗戦の昭和20年頃までは、その時代を写すさまざまな「情報」が少ない時代である。たとえば、「満州」という中国の地方の固有名詞が与えるイメージ等は、現在から想像するに非常に屈折する。…
第十八回目の東野邊薫の「和紙」は、福島県の農村が舞台である。昭和18年であるから、すでに日本はアメリカと戦っているわけで、客観描写で作者が語るお話は友太という青年が主人公である。一度出征して任期を終え、農業のかたわら副業で紙漉きをやっている…
第十七回の芥川賞作品「纏足(チャンズウ)の頃」(石塚喜久三)も中国種の作品だ。この作品の出所はおもしろく、昭和15年当時、日本軍部が華北、蒙古などを占領し、そこに日本が傀儡政府を置くのだが、実質的には日本支配である。こういった奇妙な国が中…
芥川賞作品に限らないのだが、昭和初期の小説表現、その日本語はやはり一味違って、現代日本語小説表現に慣れてしまっている我々には、どこか微妙なニュアンスで「異質」感を覚える。明治、大正と続いてきた、日本語表現の変遷(悪い意味での進化というべき…
第十四回(昭和16年)下半期の受賞は、二人目の女性、芝木好子の「青果の市」である。これまでのほとんどの作者が明治生まれだったのが、初めての大正生まれの登場である。東京生まれである。28歳の時の作品の受賞である。駿河台女学院を卒業して、「文…
文芸サイトの「ノベルズワールド」の雑談掲示板で、作品「長江デルタ」を中国タネとして書いたが、このころの中国は、日本の国内経済がシックハックしているために、憧れの満州へ一刻千金を夢見た経済難民が押し寄せてくるというはた迷惑な感情を味わってい…