●医者の視点で描く不気味な小説「夜と霧の隅で」(北杜夫)

 医学部出身というのは、なぜかとても好奇心が旺盛なようで、あれこれと書いて見たくなるものらしい(笑)。

 第四十二回の芥川賞は、受賞作なしであった。候補には川上宗薫やなだいなだ等が挙がっているが、見送ったようである。このところ、一つ飛びの受賞が続いている。第四十三回が、医学部出身で、生活的にあまり困らない、北杜夫の「夜と霧の隅で」が受賞している。著者33歳のとき、新潮社で出版されている、これはプロとしての作品である。彼の学生のころは、丁度敗戦直後の混乱期であるが、かなりの文学青年なときが過ごせたようである。やはり、父親、斉藤茂吉の家系であろうか、ドイツ文学のトーマスマンの影響が強く、大衆小説用のペンネームと純文学用の名前をを分けていた。この大衆小説は、ユーモア小説やコントなどであったが、今残っていれば、そのジャンルの違いをどう把握していたか参考になることだろう。全集には、収録されているだろうか、調べる必要がありそうだ。(話はまったく違うが、今、大衆小説の大御所、浅田次郎がゲストの番組がTVに映っている)。なだいなだも医学部出身だったよね。渡辺純一もそう。医学部出身の大丘氏もがんばってくださいよ。あれもこれも書くは、やはり、北杜夫にもあったようです。

 受賞作の「夜と霧の隅で」は、さすが余裕ある生活者の力量がにじみ出ている作品だ。これまでに、一作、初期に、ヨーロッパを舞台のヨーロッパ人の側から書いたものはあったが、この「夜と霧の隅で」もそうだが、いかにもドイツ人が創作した小説のようで、それも意識的なのがわかる。文体が翻訳調なのである。ここには、東西の差などは全く窺われない。北杜夫は、この作まで、まったく海外滞在の経験はない。しかし、この小説は、第二次大戦中の同盟国、ナチが支配するドイツの「精神病院」が舞台なのである。日本人の精神病患者が出てくるが、主人公はドイツ人の医者である。もちろん、日本語で語られるが、日本臭は全くない。ナチの純粋ドイツ人主義は、さまざまな人種的な選別を行うが、この精神病院の患者で不治のものも、当然、排除される。ここに収容されている日本人とは、ドイツに留学中の日本人医師で、ユダヤ人女性と結婚しているのだが、ユダヤ人狩りでその妻が行方不明になっている。確かな情報が入手できないまま、この日本人は、被害妄想となりこの病院に収容される。そして、この日本人も不治と認定され、粛清される運命である。このいきさつが、ドイツ人医師の視点で描かれているのだが、病んだ精神内部を語るために、その部分は、日本人本人の妄想心理で描かれる。そのため、読者は、あまりにそれが整然と説明されるために、決してその日本人が精神的に病んでいるようには感じられないところがあって、実に不気味な印象を受ける。作者は、すでに、精神科医としての実践を踏んでいるので、患者の心理を内側から描くのは、お手の物だったかもしれない。また不治の患者を、実験に使うか、そのまま、死の収容所に送るかは自由なので、その実験描写などもフンダンに描かれて、実に不気味なのである。生きたままの患者の、頭蓋骨に穴をあけ、脳味噌を、解剖のようにつつくなどのことは、描写的に茶飯事なのである。こういう現象は、実は、日本統治の中国にもあった話なのだが、ドイツが舞台だということは、ありそうな話で、しかも、戦時中米英がタブーになっていることから、こんな話もあるだろうと思っていたのが、この小説で初めて触れることになった。今では、とても問題のある内容なのだ。「楡家のひとびと」というような、家族小説の元祖と言われる北杜夫だが、初期の頃の小説は、結構不気味だったのである。