●第四十一回の芥川賞は、なんと初めてのお年寄りの受賞である。

 みなさま、斯波四郎(しばしろう)という作家をご存知でしたでしょうか?

 第四十回は受賞作なし。昭和三十四年(1959年)上半期の四十一回目。わたし事で恐縮だが、その頃のわたしは、14歳で、外を知らない井の中の蛙であった。そのくせ、村落共同体の中で日に日に、アウトサイダー的疎外感を覚え、その反抗エネルギーを蓄えつつあった。わたしは、大江の「飼育」の中の子供の感性にとてもよく共感できる状態だった。その感性の下地は常に原始のセクシュアルで残酷な欲望が原動力だったのを記憶する。人も含めて、村全体が、わたしの根源的欲望の源泉だったような気がしている。

 そんなことを今思いながら、この年の受賞作「山塔」(斯波四郎)を読む。なんという順序であろうかと、わたしは思う。この作品は、子供のわたしが、年取って(50にもなって)から、出発点の村に立ち返って散策する、死を考えながらの自然回帰を問うている小説ではないか。また、芥川賞のこれまでの、受賞年齢は遅くて30代が最高であったのに、この作者は50を過ぎている。めずらしいではないか。こんなのは、今回が初めてである。しかも、この作者は、これまでに数々の作品を世にだしていた。戦時は従軍記者もしている、新聞記者が生業である。彼が再び小説を書き始めたのは、39歳になってから。「雑報的文章から小説的思考にかえるのに一苦労した」と告白している。

 それでも、芥川賞選者たちは、彼を、類似品の少ない作風の、リアリズム万能のこの頃残しておいて良い作品だと推薦している。大江の次の受賞である。選者たちは、なんとか古き良きあの頃を取り戻そうとしているかのようである。中村光夫の評は、「小説として欠点はいろいろあっても、作者は小説を書かずにいられぬ人であり、この作品はその必然性を充分に感じさせる」とある。まさに、ここでは作者の明確に書く動機が判定されている。この年にもなって、遠くに去った、生まれた村での成長の記憶をなぜ辿らねばならぬのか?作者にとって、それを問わねば、死ぬに死ねないというのが、その動機なのである。まさに、自分のためだけに書かれたような作品で、私小説だと、誰からも評されて、作者は閉口している。井上靖は、この小説を読んでいるときが一番楽しかった、優れた作品の持っている響きのようなものが絶えずこちらに伝わってきたという。これらの感想は、しかし、人生のある時期というような、節目の自覚を持たないひとには、抽象的でおもしろくないに違いない。この作を入れることで、芥川賞は幅が広いぞといったニュアンスがどこかにありそうである。

 この作品は、次に受賞する北杜夫の作品と比較されているが、選者たちは、どうしても今回ばかりは「年寄り」を受賞させたかったかのようだ。