[文学関連、文芸時評」●選考委員だって人間だ、肉体は等しく加齢する

 芥川賞開設当初から選考委員として参加していた川端康成などはもうすっかりくたびれたとみえて、「小説を批判する気持ちが減退するにつれて、その能力も減退してきたらしく、単純な読者になりつつあるようだ。最早委員には適任ではないのだろう」と告白している。そして、同じく初期からいる宇野浩二は、手元にあがってくる作品が、どんどん変化しているのに、新規な評価が下せず毎回読んで今度も該当作品なしと思っているのだが、新しい選考メンバーが、まったく反対に芥川賞作品は、どんどんよくなっていくなどど言うのもいて、動揺しつつ、それに押し流されて、自分の推薦作や、該当なしの気分が揺らいでいく気持ちを告白したりしている。選考作業も、時代とともに変化し、その「変化」は選考の時点で芥川賞の過去の評価(それは選考委員の質的傾向によって堅実さが守られてきたように)則らなければ、斬新で将来性ある未知な作風も、低い評価か該当なしになっていくのもやむを得ないことであろう。そういう選考伝統を崩すのが新しい選考委員たちで、この賞を取った作家石川達三などは積極的に新人発掘に努めているようだ。ついこの間この賞に選ばれた井上靖などもいつのまにか選考側に加わっているのである。これまでに30人以上の作家に賞を出しているが、選考委員は、この中で活躍しているのは4、5人ほどだと厳しい評価を下す。それぞれの受賞者の年賦を見ると、誰も挫折してまったく文学から手を引いた人などはなく、死ぬまで作品を書き続けているのがわかるのだが、世間には、やはり無名のまま騒がれずに没している場合もある。別な意味で、こういう作家も今再び、その後を作品的にたどってみるのも効果のあることかもしれないとわたしは思う。前回述べた、遠藤周作などは、選考委員の意見は、遠藤は小説作家ではなく批評畑にいく人だと危惧して受賞を授けることに難色を示していたのである。しかし、遠藤周作は、その後、小説もどんどん世に問い、もちろん批評の分野でも活躍したのである。石原慎太郎などは、受賞後、映画監督から舞台まで手を染めて、しかも政治家までやっている。それでも、直現在小説を発表し続けている。こう考えてみると、選考での先を見る評価も加えなければならず、芥川賞色も守らねばならず、なかなか大変な作業である。新聞も、この賞を出版社がやっているものだから、妬みな評論を投げかけたりする。しかし、芥川龍之介菊池寛の意向だけは伝統的に死守しつつも、現在までに、相当な権威を築き、文学界に多大な貢献をしていることだけはいえる。

 芥川賞作品をこういった選考の裏側から観るのもおもしろいものである。