●第三十六回の受賞はなく、三十七回は「硫黄島」(菊村到)である。

 短編で、こういう題材を描くには、もったいない、あるいは軽さに傾斜する危険性がある。それほどさように、この小説は様々な「死」的示唆を提供している。石原慎太郎の「太陽の季節」が出ても、戦争の傷跡は、いついかなるときにでもその顔を覗かすのである。

 戦争を忘れ去ったかのような戦後社会の中で、新聞記者をしている主人公「私」が遭遇する、そのフイの戦争の傷跡とは、「私」が語る、片桐という名の硫黄島からの帰還兵が、突然新聞社に現れるところから始まるのである。この小説の語りの手法は、ほかの小説ではあまりお目にかかれない、一人称と三人称が、ミックスした構造をしていることである。その手法は失敗していない。時制の複雑さと、主人公の際立った鮮明さを表現するのに、このミックス手法は、整然と成功しており、「語り表現」に大いに参考になるのではないか。

 かってアメリカでは、ベトナム戦争帰還のアメリカ兵が社会に溶け込むのに、困難を来たし、社会に復帰できない姿を描いた作品が多く登場した。そういう、精神を病んだ人間が、様々なドラマを生んで、戦争というものを考えさせられたのである。イラク戦争も今ではそんな現象が現れている。日本の敗戦もそれと同じなのであるが、なぜか、ベトナムに負けたはずのアメリカには、敗戦色というのが、日本ほどには無かった。同じ負けたにしても、アメリカの国土までがやられたというのではなかったからであろう。そういった条件の違いはあるのだけれど、この「硫黄島」も、そして敗戦の復員兵を扱った小説は、この日本にも数多くあるけれども、どこか違うのである。日本の場合は、最終的に永遠の「非戦」に導かれるのに、アメリカではそうならないもどかしさがある。

 短編、中篇しか選ばない芥川賞は、そういった、盛りだくさんに欲張りな戦争モノを完璧な形で見出すのは無理があったはずだ。にもかかわらず、このように素晴らしい作品が選べたということは、ラッキーなことではなかったであろうか。

 戦争が終わってしばらくの間、硫黄島に残った、生き残り兵たちは、密林の中を逃げ惑いながら、何年も生活した。これは、「ビルマの竪琴」の生活とよく似ている。「硫黄島」でも、生き抜くために戦友さえ見殺しにして耐えるのだが、助かって帰還してみれば、その行為に対する罪の意識のようなものが生まれてくる。復帰して内地で働き始める片桐は、それゆえどうしてもうまく日常に溶け込めないのである。工員として働く片桐には、この罪の意識の処理に翻弄されて、許婚もでき、働き仲間のできるのだが、その日常行動はどうしてもギクシャクする。その感覚は、内地での生活で、人助けに翻弄する自己犠牲の「英雄」のように見せはする。しかし、これは片桐にとっては、罪の償いのようで、決して英雄気取りではなかったのである。結局、内地での生活を振り切って、もう一度硫黄島に渡り、そこで、もう一度この「罪」を考えてみなければならないように自分を仕向けるようになる。そして、渡航を実行した片桐は、噴火口に飛び込んで自死してしまうのである。内地での、片桐の描写は、三人称で語られる。その全体を「私」という一人称描写が受け持つ構造になっているのである。未知の「死」という難問と罪という宗教的問いの難問とその日常の描写という「進行」が、複雑にではなく、この構造が読みやすく救っているのである。ただ、全体がそれゆえに、事実という感覚から少し遠のいて、上滑りで直接性のある感覚を読者はつかみ難いように思えるのが難かもしれない。それが、あっさりした感覚を生んでいるからである。しかしこの表現手法は、このサイトの実作者には、大いに参考にしてみて欲しい方法である