●第二十二回の作品は「闘牛」(井上靖)である。

 第二十二回受賞作品は井上靖の「闘牛」というタイトルの作品である。敗戦後4年が経過したこの時期、さまざまな「単語」が、いかにも今、現在を思わせるが、その同じ言葉もやはり、今と少しばかりズレたニュアンスがある。この「闘牛」という言葉もそうである。次に受賞の「異邦人」(辻亮一)という作品の異邦人という単語もそうである。「今」の気分でタイトルを感受して作品を読むと、ちょっと意外な気持ちを持って作品へのめりこむことになるだろう。

 「井上靖」である。この名前は現在でも結構知名度がある。そんなせいかどうか、この「闘牛」という作品は、安心して読めた。しかし、それはやはり、彼の安定した文体と、意外な方向へ進む伏線が意識的にドラマ的であるせいだと思われる。これまでの芥川賞作品にない、練られた作風で澱みがないので、疲れを感じないのである。

 作品内容は、二通りに受け取れる。津上という男を主人公にした、新しく設立された新聞社の彼の編集局長としての手腕物語とこの男の女である「さき子」との不倫物語とが同時進行するからである。舞台は、大阪である。焼け野が原である。鉄筋の建物と鉄道と駅周辺の街だけが残存しているような姿の街で、さまざまな事業があちこちで戦後的にぼり返されている、ヤミやら正規やらが混濁した状況の中で、生きる為の経済活動が進んでいる。建設的で結構明るいが、主人公の内部は死んでいる「心」を背負ったような人格として、仕事、女両面に潜んで描かれている。戦前、戦中を生きて敗戦した多くの日本人の深層心理とはこんなものではなかっただろうか。「闘牛」は、彼の新設新聞社を盛り上げる宣伝のために、四国に残っている闘牛文化を、焼け残った球場を使って、三日間繰り広げる、文字通り闘牛なのである。それに社運を賭けるというわけである。その一つ一つの仕事具合が、戦後の混乱の背景と絡ませて細かく描かれている。たかだか、牛二十数匹を球場で戦わせるといっても、そのためには、まだ整っていないさまざまな機関を動かすのだから、その景色は、全く「今」のようではない。そして、この事業は最後に、雨のために失敗するのであるが、この「失敗」と「女」との関係も絡めて語られるのである。ゆるぎない安定した「語り」でである。彼の作品は、筋立てが、映画化しやすいのが特徴である。まかり間違えば、直木賞作品との区別がつかなくなるところがある。戦争で中断していて、戦後呆然自失な中からようやく抜け出して、久しぶりに書いた作品だそうである。だから、第一回の石川達三などと、年齢はそんなに変わらないのに、井上靖芥川賞へのデビューは戦後なのであるが、どこか、戦前から連続しているようなところがある。この作品も、三人称語りの客観小説である。実に幅の広いところまで、きめ細やかな「語り」を展開していて、展開が変わっても気分落ちがしない筆致である。