● 気分を一新して、敗戦後の日本の芥川賞作品を読む

 その時代時代の社会情勢がどのようなものであっても、そこから切り取って描かれる小説の人間物語の「視点」は、一定の文学的普遍性を保っていなければならないということが、今回の昭和10年から敗戦の20年まで続けられた芥川賞選考作品を読んでみて、それがよく解った。そういう作品を選びきる選考委員たちの並々ならぬ努力も、この読書体験から良く伝わってきた。当時、一流の作家でもある錚々たる選考委員に与えられる作品は、せいぜい5編から20篇までで、それ以前は、文藝春秋社が独立して設立させた、日本文学振興会のスタッフが、文学各界の署名人300名ほどに、推薦作品を全日本から見つけてもらう、アンケートを送付する。それらが選び分けられて、選考委員たちに渡されるのである。直木賞作品の選考も同様である。全国各地の同人誌でヒッソリと表現欲を満足させていた場合でも、必ず、ここに引っかかるように工夫されていたのである。それらの中から、年二回、優秀作品を選び出し、とにかく世に知らしめる。雑誌に掲載する、単行本化させる。受賞した実作者は、とにかく世に送り出され、いやおうなくプロ化させられる。しかし、そこの初心はやはりアマチュアなのである。ずっと、そうなのである。いやそうでなければならない。本が売れれば印税が入る。しかし、そのために彼らは再び書き始めるのではない。中には、金は、貧乏作家にとって助かるから、出版されることを優先に、編集者のいうがまま、自作をどんどん、大衆向けに変えてしまうものも発生するのだが、それは、大衆の全てのレベル、読めて楽しめてという読者の欲望のままに作品を作ってしまう大衆中間向け作品を目指すのならしょうがない。しかし、そうではなかったはずなのである。「芥川賞」という冠が付き、「先生」という冠付き始めると、何を書いても相応しいような錯覚が生まれる。直木賞受賞作家には、そういう自由があるように見えるが、さすがに、芥川賞を受賞した作家には、あまりそれは見えないようである。「冠」とは恐ろしいものである。

 芥川賞は、敗戦後二年間は、混乱の中で停止してしまうのだが、昭和22年に再び芽を吹き返す。そして、現在でも署名な作家たちが、どんどんこの賞で選び出されるのである。井上靖安部公房堀田善衛松本清張安岡章太郎吉行淳之介小島信夫遠藤周作石原慎太郎開高健大江健三郎北杜夫河野多恵子田辺聖子、、丸山健二と続く。これからもしばらく、わたしは、これらの作品を読んでいこうと思っている。その間、このサイトに作品が現れれば、わたし好みの選択で感想させていただく。どんどん、作品をリンクなり掲載なりしてください。何でもいいのだが、わたしとしてはできれば、この線に沿った、意識した「小説らしい、小説」を希望します。