●芥川賞が発掘した独特な小説世界、戦後初期編。

 ●第四十七回(昭和三十七年)受賞作、「美談の出発」(川村晃)
 ●第四十八回(昭和三十七年、下半期)、受賞作なし。候補作は、「美少女」(河野多恵子)など。
 ●第四十九回(昭和三十八年)受賞作、「少年の橋」(後藤紀一)「蟹」(河野多恵子

 このころの日本は、戦後復興の気分を残しつつ、高度経済成長を目標に、新幹線やオリンピック施設など、建土的に今現在の日本の姿形が出来上がりつつある時代である。平成の今ではレトロと化しつつある昭和の姿の骨格部分が作られつつあった時代だ。戦後ずっと、芥川賞作品の世界の住民は貧乏であった。それを感じさせない例外的な作品は、一部の裕福層、男流と女流の作品のみである。今期のこの三作品も、河野多恵子を除くと、その舞台である生活基盤はすべて、食うか我慢するか、そのぎりぎりの中で、人間の綾が生存が、その気分が表現されている。それから、おもしろい事に、というべきか、あおかしな事にというべきか、この「貧乏」の背景には、作者の意向は別にしても、どこかマルクス思想の臭いがする。その臭気はしかも、かなりの世間知混合の悪臭で仏教も儒教神道キリスト教もすべて下地にした上のマルクス料理のようで、その反発心や抵抗、全くの迎合においても、どこか手料理そのもので、だからこそなのだろうが、小説の舞台はいつも、両極端な二元論で表現される。庶民に浸透したマルクス主義なんてものは、いつでも、何がなんだかさっぱりのものとなっている。そのくせ、生活の時間は結構、その主義の活動が、そのまま時間割になっているような、貧乏生活なのである。もう一つおもしろいことは、小説の中心人物は、なぜか、そういう時間割を受け入れながら、常に、マルクス主義に反対か、どっちつかずか批判的な立場を取っているのが常套であるのが不思議である。芥川賞作品にはその性質上、マルクス主義に深く関わりながら、結局、さまざまな理由で組織から脱退した表現者が多いのはわかるとしてもである。

 「美談の出発」(川村晃)や「少年の橋」(後藤紀一)には、生活や仕事の一部でマルクス主義組織らしい影が顔を出しているのだが、具体的ではない。というより、あまりにも、生活に密着的でよくわからないというべきかもしれない。だから「細胞」なんて言葉が何の説明もなしに、既存語のように飛び出してくるし、劇団参加や集会を催したりと、やけに文化的だったりするが、それらはみなマルクス主義思想の先遣隊組織の活動だったりする。これはしかし、小説という「語り口調」に載せられると奇異な感じを免れないのである。小説語りの調子というのは、基本的に、普遍化されたというべきか、世間知レベルに定着した納得の中で共感を得るような語り方を採用するようで、とりわけ大衆小説ではそういう傾向が強いが、この芥川賞作品でも、語りの定着となるとどうしてもそこから免れないのであろう。

 というわけで、この二作品の背景は、貧乏。そして、決して強調しているわけではないが、そこにマルクス主義の臭い、そしてその背景からの個人主義への萌芽のような臭い、そしてグッと個人に引き付けて、強烈なクオリア感の表出の試み、そういう構造が見えてくる作品となる。

 ところが、これも不思議なことに、これらの構造を全く逸脱するのが、女流といわれる作品である。芥川賞では、林芙美子のような作品はまだ、これまでのところ出ていない。素材は貧乏であっても、決して貧乏ではないのが、これまでの女流の作品であった。河野多恵子の「蟹」もそうである。結核に罹った女の、病人的我侭が振るに発揮され、それが許される経済状態の中で、現在にも通じる、男と女の綾の複雑さ、一致の不可能さみたいな、現代的感性が三人称で「語られる」。筆致は、知的教養人臭く、客観的で突き放した感じだから、貧乏さはほとんど窺われない。どんな経済状態であろうと、徹底的に、女の満足さが追求される。そういう女が主人公として描かれているが、これは、そのまま、女流といわれる女性作家の現実の姿勢でもあると考えてよい。貧乏の中にも、女流にはどこか、安定があるのである。精神的には、ある余裕が既に既成事実のように存在しているかのような感がある。この精神的安定は、しかし、作中では、それ以前の不安定要素として描かれるわけで、おそらく、表現と現実は同時進行ではないだろう。それよりも、河野多恵子は、この「蟹」でやっと、芥川賞選考委員に認められたのである。これ以前にもう三回候補に挙がっていたのである。挑戦意識のほうが強かったのではなかろうか。芥川賞などよりも、すでに世間には知られた存在になりつつあったこともあるし、挑戦意識は、余裕がある証拠である。女流の強さではないか。芥川賞も、戦後、しだいに強くなっていくのは女性であると見える。