●ガンバレ、中村文則クン!新作登場! (余話)

 久々に中村文則クンが長編を書き下ろした。昨年は、文芸誌掲載の小説を批評家たちと共同で座談風にやっていたが、初期の志である精神の「闇」の「善悪」への追求は健在であった。その更なる掘り起こしの作品である。「最後の命」というタイトルで、「群像」二月号に掲載されている。

 高校時代に、運命共同体的な友情関係の中に、殺意をも含む、秘密の「事故」(ホームレス殺害)を共有しあった友達がいて、その「秘密」は社会的に表面化されることなく、大人という責任の世代になって、2人は互いに別々に音信もなく過ごしていたが、ある日突然その友人から電話が飛び込んでくる。あの「秘密」が、再び「今」に蘇るのである。「共有」であった「秘密」が、それぞれ独立した2人に、別々の要素で蘇ってくるのだが、「秘密」の持続を強く持っているのが、その友であり、現在のわたしはそれをすっかり忘れている状態なのだった。持続された「殺意」は、わたしの周りで、もう一度出現する。その、殺意の行方をわたしが追い、なんとかして、その精神の存在を文学的な意味での正当化を試みるのが、この小説のモチーフである。殺意というような、説明不明の闇を、罪とは何かで追求せんとするスタンスは、この作者にとっては至上命題であり、少しも変わってはいない。この、地味な文学的追求の上での、物語表現は、最近のエンタメ至上主義の中では稀有の存在として大いに援護する必要がある。大衆的に受ける必要など全くないが、かって、続いてきた、ドストエフスキーなるものの流れを、たかがエンタメなどという流行によってその火を消してしまいたくないものである。こういう流れを受け継いでいる、新進作家は中村文則クンくらいしかいないのである。大いにそれを発揮してもらいたいものである。