●大野晋の総まとめのような対話集が発刊された。

「考古学・人類学・言語学との対話」(大野晋・金関恕)という本である。多くの反対意見がある中で、日本語のインドタミール起源説を唱えている彼の学説がおもしろいのは、その根拠が「人文学」の発想に依っているところであろう。科学が常にまだ未知に対し…

●読者という層をもう少し鮮明に位置付けておきたいのだが、

多くの表現者にとって「読者」という、抽象度の高い重要な概念、しかも表現者の表現物にとって唯一の「相手」なのだから、この概念をしっかり把握しておく事は大変重要である。「近代読者の成立」(前田愛)を読み始めたきっかけはまさにそれである。わたし…

●図書館はすばらしい。

夜勤の多いわたしは昼間のほとんどを図書館ですごすことにしている。ここに来る人間を称して「読者」という。読者というものはとても曲者である。かって「読者」とは、言語表現物の需要者のことを指したが、今は少しニュアンスが異なる。表現物が言語ででき…

 読者の分類がそろそろ必要になってきたネット時代。 

ネットをサーフィングしているとさまざまな情報が飛び込んでくる。初期の頃と違って、その情報は、いかにも制度付けがホンモノらしく付いて、視覚メディアと共通な「メディア造詣的な装い」が凝らされて、その「信憑性」を疑わせることなく一発で信用させる…

 作者たちとの親睦会

読者にとって構造主義文学論である「テクスト論」は、提示された「作品」が全てであって、その感想批評は論に従って、作者の生の声や、横側からの訂正や変更を許さず、作品が表現しているテキスト分析による範囲を逸脱しないようにする批評である。作者のテ…

ガンバレ、中村文則クン!新作登場!

久々に中村文則クンが長編を書き下ろした。昨年は、文芸誌掲載の小説を批評家たちと共同で座談風にやっていたが、初期の志である精神の「闇」の「善悪」への追求は健在であった。その更なる掘り起こしの作品である。「最後の命」というタイトルで、「群像」…

●芥川風と直木風、純文学、大衆小説論争

いったい、日本だけの現象として、なぜ、「純文学」というような命名がなされるようになったのだろうか。昭和10年開設の芥川賞、直木賞以前に、すでに文学史的にはこの命名があり、それは、日本独自の「私小説」というジャンルが発生源と看做されている。…

 筒井康隆の80年代の言説、「文藝時評」を読む。

1993年の文芸季刊誌「文藝」に一年間連載されたものをひとつにまとめた本「文藝時評」(この本は既に売り切れ)を読んだ。だが、評された作品は80年代のものが中心で、純文学系文芸誌の中の作品が多く時評されている。いわゆる実作者がする文芸評論である。8…

● この記事に追加が必要になった(3月12日)。

この日のページに追加しておく。「文学部唯野教授」のその後だが、どうしたわけか、案の定というべきか、この作家の特徴であるが、これをきっかけに遊び始めた。なんと、スブテキスト的に、関連的な言説がこの作家から派生させられていた。文芸誌にこの作品…

●「サルベージュ」11号、2006年(平成18年10月)刊、感想批評

我が郷土の同人誌「サルベージュ」11号が発刊された。昨年(2006年、平成18年)の秋である。 11号発刊に関しては、主催者と連絡がとれなくなり購入が不可能となった。そこで、市立鳥取中央図書館に購入を依頼しこのような資料は普通なら貸し出しできないのだ…

 ●「赤頭巾ちゃん気をつけて」が「パクリ」と思っている読者へ

芥川賞作品の一回目から、六十一回目のこの「赤頭巾ちゃん気をつけて」までは、「このような日本語」で表現された作品はなかった。この作品までは、である。作品そのものを読む限り「このような日本語」を庄司薫は、意識的にかどうかは別にして、過去の65…

●「赤頭巾ちゃん気をつけて」庄司薫

芥川賞作品の最近の若い作者の「文体」傾向の特徴は幾つかある。それは、小説表現が目指した「言文一致」が過去の作家の表現と比べて高度に進んでいること。限りなく「私」の感情感覚に密に接近していること。従って、モチーフやテーマを思考するとき、深く…

●1、「年の残り」丸谷才一

もう何度も芥川賞最終選考5、6編の候補に挙がって、年齢やら文体やらが毎回ぴったりせず、中途半端なまま落とされ、この人はもう自分の世界を持っているから芥川賞候補でもあるまい、などと評され、ずるずると今回まで受賞を逃してきたのが、丸谷才一であ…

[文学関連、芥川賞」●2、「三匹の蟹」大庭みな子

ベトナム戦争の頃の日本女性って、まだまだ耐える事が美徳であるような観念を持たされていたと思うが、大庭みな子の「三匹の蟹」の女主人公は違っているようだ。実をいえば、心底違っているのではなくて、上辺だけのようだが、たとえ表面的であったにせよこ…

●丸山健二のデビュー作「夏の流れ」

「時間」という概念は不思議なものである。その概念は人間固有のものではないかと思うこともある。時がカウントされ始めると、それはどこか「進行」するイメージがあるが、実は、その先へ進む感覚は宇宙時間などとは違うのではないかと思わせられる。それは…

 ●「徳山道助の帰郷」(柏原兵三)、昭和42年度受賞作。

これまで、芥川賞作品ばかり58作読んできて、日本語もなんと多数の表現が可能な言語だろうと思わせられてきた。グローバルな英語に匹敵するほど、一地域の少数言語の仲間なのにである。 柏原兵三の「徳山道助の帰郷」という作品もそういう言語表現のうちの…

 ●「文体」と「世間」

いずれ登場するが、2006年「沖で待つ」という作品の芥川賞受賞作家、絲山秋子の新作短編集「エスケイプ/アブセント」を読まれたでしょうか?まだでしたら、ぜひ一読をお勧めします。 大城立裕の「カクテル・パーティ」の二人称文体にしろ、絲山秋子のこの短…

[文学関連、芥川賞」 ●初登場、沖縄の作家大城立裕の「カクテル・パーティ」

「沖縄諸島」という地球上の場所は不思議なところである。現在、たまたま日本語が通用するものだからそれほど奇異には感じないけれども、日本列島の東京以外の地方ということになっているけれども、歴史や民俗学に少しでも触れるとわかるように日本の一地方…

第五十六回は丸山健二の「夏の流れ」。そして沖縄の作家初登場。

 ●「世間」を問い続けた、安部謹也氏最後の総まとめ!(余話)

ドイツ中世史が専門で、その研究と共に50年間、日本人である「私とは何か」を究極の命題として常に問い続け、日本と西欧の差異を観るのに「世間」という彼独自の視点を設定して「いかに生きるべきか」を見出した安部謹也氏の最後の総まとめともいうべき書…

 ●ガンバレ、中村文則クン!新作登場! (余話)

久々に中村文則クンが長編を書き下ろした。昨年は、文芸誌掲載の小説を批評家たちと共同で座談風にやっていたが、初期の志である精神の「闇」の「善悪」への追求は健在であった。その更なる掘り起こしの作品である。「最後の命」というタイトルで、「群像」…

 ●高井有一の40年後の作品に偶然出会ってしまった。

全く偶然のことだが、芥川賞第五十四回受賞の「北の河」(高井有一)を感想したばかりだったが、彼のその40年後の作品に一気にお目にかかることになった。全くラッキーな偶然である。「文学界」二月号の冒頭に「鯔(ぼら)の踊り」という新作短編が掲載さ…

 ●第五十四回は「北の河」(高井有一)

この作品を読みながらずっと感じ続けたことがある。それは、大抵の読者が、読みのどこから来るのか漠然と感じさせられつつも明確には掴めない、ある選別的な余韻、多少気取ったと言おうか、取り澄ましたとでもいうべきか、小説語りの独特な調子と言おうか、…

 ●第五十三回芥川賞作品「玩具」(津村節子)

芥川賞も50回を超えると開設以来30年近く経過することになる。石川達三などは、この賞を一回目で受賞し、後に選考委員となり、この段階でもまだ続けているのでデビューからずっと芥川賞まみれである。それに比べると、川端康成などは一回目からの選考委員で…

 ●やっぱり、エンタテイメントはどこか変! 小説ならどうなのか?

映画「ホテル ルワンダ」を観た。公式サイトはここ、(http://www.hotelrwanda.jp/) 1994年、ルワンダで起きた内戦での虐殺を「描いた!」映画である。100日で百万人が虐殺された中で、1200人を外国企業のホテル・ルワンダに匿い困難の末助けた男の実…

 ●文豪の探偵もの作品、九作を。(余話)

長いインターバルが続いています。もう残り少なくなった今年、2006年ももうすぐ終わりです。今日は、休憩中に読んだ、「文豪の書いた探偵小説」の読後感を言説してみたいと思います。 今でこそ「探偵小説」はジャンル化され、固定化され、すっかりエンタ…

●「精神」と「脳」を一つにする「表現」とは何だろう?

「されどわれらが日々」で暫く芥川賞読破の時間を止めております。その間やっていることといえば、ずっと気にかかっている「脳と文学」についての考察で、茂木の考察はずっと文芸寄りでわかりやすいのだが、もうひとつ文学の「表現」の新規な方向が見出せま…

 ●参考までに、柴田翔の受賞のことば!

さすが、学者な作家(文学者)の受賞のことばである。誰かって?もちろん、「されどわれらが日々」の柴田翔のことである。作中の主人公である「私」、すなわち「大橋」とそっくりな言説ではないか。そこには、感情的な要素は一つもあらわされていず、徹底し…

 ●なんだか、とても印象批評な「されどわれらが日々」(柴田翔)

柴田翔の「されどわれらが日々」を読み返すと、この頃、正確には、作者とわたしは10年の年の隔たりがあるので、この本を手に抱えて、手当たりしだいのページを捲っては読む、そのどのページもわたしの、その頃の「今」にぴったりフィットした感覚を共有し…

●懐かしい「されどわれらが日々」(柴田翔)の思い出

芥川賞作品を読むには、今、文藝春秋社から専用の全集が発売されています。現在までのところ、19巻まで発売されているようです。わたしはこれまで市立図書館のものを利用していたのですが、どうも、他にも読んでいるらしい人がいて、7巻と8巻がなくなってい…