●戦後第一号、芥川賞作品はニ作品に決まる。

 地域にもよるだろうけど、昭和二十年8月以降の、日本の「人の住むところ」主に「都市」は、ほとんどが、新地(さらち)と化したようなイメージがある。わたしは、こういう時にこそ、山間、海辺へと人間は「移動」するものだと思うのだが、人間の移動というのはどうもそうではないようだ。やはり、瓦礫の山でも都市にしがみつく事のほうが、将来安泰への成功率は、今考えると高かったようである。「国やぶれて山河あり」の意味は、どうも語義どうりではなさそうだ。人はやはり群れる動物なんだろうな。

 芥川賞が復活するのに、昭和20年以来、4年かかっている。これに関わった、人たちはどんな終戦を迎え、どんな生活状態だったのだろうか。四年の間に、ともかくも、誰かが小説というものを書いていた、書くことができていたというような環境は、破壊された都市では夢のような仕草ではなかったろうか。およそ、東京、大阪などの大都市において、その瓦礫の環境が、破壊以前から保持されていなければならない、さまざまな文学的なるものをどうやって守り続けていたのであろうかを想像してしまうのである。

 受賞作「本の話」の由紀しげにしても、「確証」の小谷剛にしても、明治生まれ、大正生まれであるからして、彼等には戦中、戦後混乱の「空白時間」があるはずなのである。よくぞ、文学の志を持ち続けていてくれたものだと、感謝せずにはいられないではないか。

 第二十一回芥川賞受賞作品は、男女二人の作者の二作品「本の話」と「確証」がきまった。この時の作者の年齢は、由紀しげこが49歳、小谷剛が25歳である。この年齢差も、作風も異なる作品の滑り出しは、選考委員もまきこんで、戦後芥川風純文学の「作風」路線をきめていく、一つのとっかかりになっている。
 
 選考委員の顔ぶれを見ると、開設当初から比べると大きく人員が変わったことだろう。最初からの古参は、佐藤春夫瀧井孝作川端康成宇野浩二くらいになってしまった。その後、岸田國士が加わって終戦をむかえ、戦後第一回(通算21回)の選考時に新たに、舟橋聖一丹羽文雄、坂口安悟、石川達三が加わった。この人材は、これまでの芥川賞の選考色にも影響を与える。古参は、選考基準に「堅実な作風、手堅い作風、高慢な作家気風」のようなものを堅持しようとする傾向がある。この10年、芥川賞受賞作品は、そういう「作風」を持っていたということである。なかなか、おもしろい滑り出しであり、戦後文学の一つの流れを作っていく芥川賞のこれからが見ものである。次からは、作品感想から始めていこうと思う。

 ●「確証」のほうが、イライラする分だけ軍杯か!

 「本の話」(由紀しげこ)という作品は、学者に嫁いだ姉夫婦の面倒を見る妹の「私」の「グチ」の話であるが、その文体はなかなかのもので、一つ話しに触れると、それを中心にもう次から次に、それに纏わる感情やら薀蓄やらが響きだしてきて、今必要なこの小説の伏線を維持できなくなりそうなほど、作者のセンスが文体ににじみ出てくる、豊富さがある。これは、この作者がかなりの年齢に達しているからであろう。しかも、金にこまる敗戦後の混乱にあるのに、なんだかそれが他人事のように感じられるのが難点で、こまった、こまったと言説しながら、その緊迫感がさっぱり出てこないのである。受賞の理由が、敗戦の貧困が常識なら、この程度の「いつわり」は夢となろう、なんて感覚で選ばれたとすれば問題である。そう誤解しかねない作品である。

 一方で「確証」(小谷剛)という作品は、わたしは、実にイライラしながら読んだのだが、その「理由」がさっぱり掴めないので困るのだ。この作品の何かが影響を与えてイライラが生まれていることは確かなのだ。だが、それが文体からきているのか、内容からきているのかまだよく読みきれていないのである。二十五歳という作者の年齢で、「女」に対する、屈折させたセクシュアルな感情を、医者という権威的な視線で正当化させようとする語り(文体)が鼻につくのである。弱者として相手を認め、その上での「てごめにしたい」その権利は「男」であれば当然であるというような、セクシュアリティがいかにして生まれるのか、「僕」という語りが、いかにも自己反省的な調子を持っていながら、この執拗さは何だろう。作者のフロフィールは、この自伝的私小説を証明するかのようである。選考委員の意見は二分する。この作者の作風は「異端」であり、これまでの芥川賞の路線である堅実性がないというわけであるが、わたしのイライラは、その「異質」からきているのだろうか。素材の選択とその視点に対するイライラだろうか、ちょっと区別がつかないのである。

 こううい作品が出てくるということはやはり、戦後なのだと思う。だって、以前には、こんな調子の作品はなかったからね。なかなか波乱のスタートではないか。読者をも巻き込んでこんなに悩ませるなんて。それにしても、この「確証」はフェミニズムのおばさんたちを怒らせるに違いないことはたしかだろう。

 ●第二十二回の作品は「闘牛」(井上靖)である。

 第二十二回受賞作品は井上靖の「闘牛」というタイトルの作品である。敗戦後4年が経過したこの時期、さまざまな「単語」が、いかにも今、現在を思わせるが、その同じ言葉もやはり、今と少しばかりズレたニュアンスがある。この「闘牛」という言葉もそうである。次に受賞の「異邦人」(辻亮一)という作品の異邦人という単語もそうである。「今」の気分でタイトルを感受して作品を読むと、ちょっと意外な気持ちを持って作品へのめりこむことになるだろう。

 「井上靖」である。この名前は現在でも結構知名度がある。そんなせいかどうか、この「闘牛」という作品は、安心して読めた。しかし、それはやはり、彼の安定した文体と、意外な方向へ進む伏線が意識的にドラマ的であるせいだと思われる。これまでの芥川賞作品にない、練られた作風で澱みがないので、疲れを感じないのである。

 作品内容は、二通りに受け取れる。津上という男を主人公にした、新しく設立された新聞社の彼の編集局長としての手腕物語とこの男の女である「さき子」との不倫物語とが同時進行するからである。舞台は、大阪である。焼け野が原である。鉄筋の建物と鉄道と駅周辺の街だけが残存しているような姿の街で、さまざまな事業があちこちで戦後的にぼり返されている、ヤミやら正規やらが混濁した状況の中で、生きる為の経済活動が進んでいる。建設的で結構明るいが、主人公の内部は死んでいる「心」を背負ったような人格として、仕事、女両面に潜んで描かれている。戦前、戦中を生きて敗戦した多くの日本人の深層心理とはこんなものではなかっただろうか。「闘牛」は、彼の新設新聞社を盛り上げる宣伝のために、四国に残っている闘牛文化を、焼け残った球場を使って、三日間繰り広げる、文字通り闘牛なのである。それに社運を賭けるというわけである。その一つ一つの仕事具合が、戦後の混乱の背景と絡ませて細かく描かれている。たかだか、牛二十数匹を球場で戦わせるといっても、そのためには、まだ整っていないさまざまな機関を動かすのだから、その景色は、全く「今」のようではない。そして、この事業は最後に、雨のために失敗するのであるが、この「失敗」と「女」との関係も絡めて語られるのである。ゆるぎない安定した「語り」でである。彼の作品は、筋立てが、映画化しやすいのが特徴である。まかり間違えば、直木賞作品との区別がつかなくなるところがある。戦争で中断していて、戦後呆然自失な中からようやく抜け出して、久しぶりに書いた作品だそうである。だから、第一回の石川達三などと、年齢はそんなに変わらないのに、井上靖芥川賞へのデビューは戦後なのであるが、どこか、戦前から連続しているようなところがある。この作品も、三人称語りの客観小説である。実に幅の広いところまで、きめ細やかな「語り」を展開していて、展開が変わっても気分落ちがしない筆致である。

 ●第二十三回(昭和25年)は「異邦人」(辻亮一)

 異邦人といえばカミユを連想してしまうが、ここにも日本人作の「異邦人」があった。なかなかの秀作だ。敗戦の時期が多感な二十代なら、混乱な時代環境がその人に及ぼす影響は多大なものがあることだろう。永遠に存在するはずもない、他国を奪った植民地に一生を生き骨を埋めるというような人生が可能だと思うほうがおかしいのだが、現地に希望を持った多くの日本人がいたことは確かである。そういう人間の運命は、今となっては「知れた」ことになっているが、終戦とともに、日本人は即刻本国に送還か、命からがら引き上げたものだとばかり思っていた。ところが、終戦から四年たっても、まだ多くの日本人が中国に残っていて、その日本人が、戦勝した中国共産党が建国する新生中国の住人(軍人)となって生きていたのである。 一人や二人ではない。残った日本人全部がである。やがてその彼らも、日本に送還されるのは歴史が示すとおりだが、彼らは捕虜ではなく、れっきとした共産主義者なのだから、まったくもって奇妙なここちがする。「異邦人」という小説に描かれている、この日本人はホンモノなのであろうか?小説を読むかぎり、フィクションではあるが真実に思えてくるのである。主人公「私」、丘上博、30歳前後が、引き上げ前に中国の「木枯国」という架空の場所で「生きるために生きた」奇妙な物語である。すでに、木枯国は共産主義思想のもとに着々と戦後の建国を実施している国であるが、それが戦勝国「中国」であるのは確実である。日本人であるこの主人公は、まだ日本が支配していた頃の日本企業で働いていたが、敗戦(この場合中国だから勝戦というのか?)の混乱の中で妻を病死させてしまう。そのまま敗戦によって帰国せず、妻の死に衝撃を受け、ちゃんと埋葬させてやれず(埋葬のシーンは圧巻な描写である)そのまま、中国各地を亡霊のようにうろつき始めるのである。ちょっと「ビルマの竪琴」(竹山道夫)を彷彿とさせるが、とにかく彷徨っているうちに、この国の共産党東方軍区第一病院付属療養所にたどりつき、そこで炊事夫として働くことになるのである。ここで働いているのは中国人ばかりだと思ったら、何人かの日本人もいて、しかも「オルグ」なる日本人幹部までいるのだから驚くのである。この日本人オルグたちに、思想的な転向へのいじめを受けながら、最低限の人間としての「生」な状態で、「生きる」ことを試みる小説なのである。異邦人は、その命名なのである。わたしが、不思議に思ったのは、ここで働く日本人オルグたちである。かって彼らは神国軍人だったはずである。いくら、帰還するまでの間だとはいえ、この変わりようは、戦後内地での変容を皮肉るようでおもしろいではないか。実に捩れた感覚を与えられる。蟹工船の小林が逆になったような錯覚を起こさせる。どっちも、立場によっては、同じような虐げる、虐げられるという位置が逆転するのである。これだけでもう正義なる意味を、よほど徹底した納得が必要だということがよくわかる。がしかし、この小説は思想物語ではない。どちらかといえば宗教的である。どんな虐待にもじっと耐える主人公に中国人仲間たちがつける渾名「坊主」がそれを象徴しているようだ。この作品も、芥川賞作品を読み始めてのホリダシモノのひとつである。

 

 ●さて、そろそろ問題の安倍公房が登場する。

 サイエンス(科学)は日本語でその支配体系全体を「文明」と呼んで「文化」という呼び名とは一線を画してきた。この分離した状況が統合され始めたのは、やっと最近のことである。それとゆうのも、デカルトの「物質と精神」という二元論的分離を、実は「分離」ではなく一つの人間学的場所の問題であるとする統合原理が「物質」の中に発見されたからである。「精神」という未知の高見にはまだ未解明だから、この精神の一歩手前の、それを支配している「生命」を実は「物質」からの融合の対称としたほうが「文明」の進む順序というものである。精神はやっと、まだその手前の生命現象の中から仄見えたばかりである。その方向を決定付ける「DNA」と同じ要素が「精神」へは「脳」であることは確実である。今、「物質」界は、この脳を介して、精神界へと向かいつつある。これらの流れはデカルトから始まったが、結局、サイエンスという「物質」からの究明を正当な方法であることは誰も疑うものはいまい。

 これがこのサイトの「表現」の問題、小説の問題とどういう関係があるかと思わないでもらいたいのだが、実は、ここに「言語」の解明なしに「表現」の「真実」が語り得ない究極の問題があるのである。文学批評が、感覚的印象批評から一歩はみ出して、構造分析的になっていくのは、前説した、このサイエンス(文明)の流れと連動しているからである。これらの言説がどうしても、メタ言語的になってしまうのは、サイエンスそれ自体も「表現」がなされて始めて、サイエンスの「真実」が感得されるという経過を経ることはあまりに自明だからである。SFという小説のジャンルや、ノンフィクションが、直接にこの使命を帯びているように見えるのは、この「真実」探求の「手段(表現)」にかかっているからである。「小説と批評」、それらが、連携して、芥川賞小説も読んでいかなければならない状況は、戦後にそろそろ始まる。なぜなら、芥川賞は、初めて安倍公房という作家を世に出すことを選んだからである。この作品を、印象ひ批評だけで選考理由としたら、後後、こまったことになるであろう。そういう問題とからめて、次なる芥川賞作品を読んでいくことにしよう。