文学関連、芥川賞
異邦人といえばカミユを連想してしまうが、ここにも日本人作の「異邦人」があった。なかなかの秀作だ。敗戦の時期が多感な二十代なら、混乱な時代環境がその人に及ぼす影響は多大なものがあることだろう。永遠に存在するはずもない、他国を奪った植民地に一…
第二十二回受賞作品は井上靖の「闘牛」というタイトルの作品である。敗戦後4年が経過したこの時期、さまざまな「単語」が、いかにも今、現在を思わせるが、その同じ言葉もやはり、今と少しばかりズレたニュアンスがある。この「闘牛」という言葉もそうである…
「本の話」(由紀しげこ)という作品は、学者に嫁いだ姉夫婦の面倒を見る妹の「私」の「グチ」の話であるが、その文体はなかなかのもので、一つ話しに触れると、それを中心にもう次から次に、それに纏わる感情やら薀蓄やらが響きだしてきて、今必要なこの小…
地域にもよるだろうけど、昭和二十年8月以降の、日本の「人の住むところ」主に「都市」は、ほとんどが、新地(さらち)と化したようなイメージがある。わたしは、こういう時にこそ、山間、海辺へと人間は「移動」するものだと思うのだが、人間の移動という…
昭和20年敗戦までの、日本という国を戦闘に向かわせる「驕り昂ぶった精神」はいったいどのようにして醸成されたのであろうか。考えてみると不思議である。今では、これに似た「精神」は日本の場合、サッカーの国際試合においてくらいにしか見られないように…
我々戦後派にとって、丁度、昭和10年(芥川賞が始まった年)頃から敗戦の昭和20年頃までは、その時代を写すさまざまな「情報」が少ない時代である。たとえば、「満州」という中国の地方の固有名詞が与えるイメージ等は、現在から想像するに非常に屈折する。…
第十八回目の東野邊薫の「和紙」は、福島県の農村が舞台である。昭和18年であるから、すでに日本はアメリカと戦っているわけで、客観描写で作者が語るお話は友太という青年が主人公である。一度出征して任期を終え、農業のかたわら副業で紙漉きをやっている…
第十七回の芥川賞作品「纏足(チャンズウ)の頃」(石塚喜久三)も中国種の作品だ。この作品の出所はおもしろく、昭和15年当時、日本軍部が華北、蒙古などを占領し、そこに日本が傀儡政府を置くのだが、実質的には日本支配である。こういった奇妙な国が中…
芥川賞作品に限らないのだが、昭和初期の小説表現、その日本語はやはり一味違って、現代日本語小説表現に慣れてしまっている我々には、どこか微妙なニュアンスで「異質」感を覚える。明治、大正と続いてきた、日本語表現の変遷(悪い意味での進化というべき…
第十四回(昭和16年)下半期の受賞は、二人目の女性、芝木好子の「青果の市」である。これまでのほとんどの作者が明治生まれだったのが、初めての大正生まれの登場である。東京生まれである。28歳の時の作品の受賞である。駿河台女学院を卒業して、「文…
文芸サイトの「ノベルズワールド」の雑談掲示板で、作品「長江デルタ」を中国タネとして書いたが、このころの中国は、日本の国内経済がシックハックしているために、憧れの満州へ一刻千金を夢見た経済難民が押し寄せてくるというはた迷惑な感情を味わってい…
芥川賞に「時代小説」はなかった。もしあるとすれば、それは大衆娯楽小説である直木賞のそれとは違っていなければならない。にもかかわらず、芥川賞第十二回、下半期の作品は、「平賀源内」(桜田常久)という時代小説に決まった。第十一回は、おもしろいこ…
わたしとしては、第一回、石川達三の「蒼茫」以来の「好み」の作品が第十回下半期に、久々に登場したといった気持ちである。それは、寒川光太郎の「密猟者」という作品である。 批評に個人的「好み」を取り込むことは邪道である事は充分承知してはいる。が、…
第九回、昭和14年上半期は二つの作品が受賞されている。長谷健の「あさくさの子供」, 半田義之の「鶏騒動」である。 「あさくさの子供」は、今でいう「夜回り先生」のような、一女性教師の、手記の形式と小説の客観言説を組み合わせた、子供とその家族との…
芥川賞初の女性作家の登場である。昭和13年である。この時代はどんな世相であったのか。この年、軍部色の強くなった日本政府は、中国との和平工作打ち切っている。中国は相手にせずである。ロシアはすでに共産革命が成立して、ソビエト連邦となっている。あ…
芥川賞作品の初期の頃を読み始めて気がついた事だが、この時代の日本は次第に軍部が社会生活に影響力を持ち始めていた頃で、思想的に右傾化し始めていたはずだが、いわゆる左翼思想を背景にしたプロレタリア文学という分野が、大正時代から力を持って君臨し…
大正時代から活躍し世間に名を轟かせている、久米雅夫、菊池寛、川端康成などが芥川龍之介の自殺(昭和2年頃)を期に、文学というものを想定しだした、その輪郭とはいったいどんなものだったのであろうか。近代日本文学は、明治開花以来その地歩を固めてきて…
芥川賞作品は、ほとんどが短編、中篇が主であるが、尾崎一雄の「暢気眼鏡(のんきめがね)」という、九つの短編が一つになった作品が、第五回目上半期の芥川賞受賞作品に決まった。時は、昭和十二年である。わたしは、まだ生まれていません。昭和十二年とい…
芥川賞作品を時代を追って読んでいくと、様々な、文体や語感の変遷が見えてくるのがおもしろい。現在の作家達が駆使する言語と比べて同じような状況を言説するにも大きな変化を感じる。また、その批評言説にも大きな変化が窺える。初期のころには、まだ構造…
前半はほとんどが、明治生まれの作家たちですが、石川達三の29歳の時の「蒼茫(そうぼう)」が受賞しています。わたし、小説を読むきっかけは、この石川達三に負うところが大きいです。「日陰の村」「若き日の倫理」「結婚の生態」「転落の詩集」「風にそ…
全芥川賞受賞作品を読破する試みを始めました。動機は単純です。それほど「小説」読みな人間ではなかったわたしが、人生のセカンドライフを始めてから何故「小説」なのか考えてみるに、そこが「小説」の小説たる所以ではないかと選ばれたる理由なのですが、…