●火野葦平の「糞尿譚」が第六回受賞作。

 大正時代から活躍し世間に名を轟かせている、久米雅夫、菊池寛川端康成などが芥川龍之介の自殺(昭和2年頃)を期に、文学というものを想定しだした、その輪郭とはいったいどんなものだったのであろうか。近代日本文学は、明治開花以来その地歩を固めてきてはいた。「文壇」という言葉も定着し、その師弟関係のような文学世界も世間に知られるようになった。芥川賞の開設は、妙な言い方だが、文壇の自信のようなものが世間に向けられ、新人の発掘とその存在を出版的に世に知らしめる文壇と対比的な出版ジャーナルの出現を夢想していたのではないだろうか。少なくとも、菊池寛などは、こちらのほうに力点を置いていたことは確かである。直木三十五賞も同時に開設されたことをみればそれがよくわかる。すべては、菊池寛の主催する文芸春秋社の設立と同時進行だからである。直木賞の目的は「大衆」というのがコンセンサスだが、この意味がもう一つよくわからない。芥川賞と違い、知名度がすでにあることと大衆的であること、長編、短編は問わないということだが、芥川賞は、短編に限るという規定がある。これはいったいどういう棲み分けなのであろうか。第一回目の直木賞受賞者は、川口松太郎の「明治ものの戯曲的作品に」であった。これは確かに、石川達三の社会正義的なそれとは大いに異なってはいる。結局、直木賞は、すでにある小説形式への洗練といったところがあり、芥川賞では、そのスタイルはより実験的といった選考観が強く見られる。

 昭和が始まって、世界大不況の波が押し寄せ、昭和の先行きは芥川の自殺に見られる「不安」といったものが根底にありながら、モダンガールなどという名が飛び出すくらい、表層的には、アメリカ文化が庶民の生活に飛び込んでくるようになった。満州国建設の夢も、不安の裏返しとして、軍部を勢いづけるものとなり、2.26事件がおこり、満州事変も起きる。地方では、明治以来の近代化が遅ればせながらいまだ続いている。まさにバラバラな地域格差が日本中には存在していた。

 そんな時代を反映して、第六回芥川賞下半期の作品は火野葦平の「糞尿譚」が受賞された。三島由紀夫が「仮面の告白」に書いたあの、興奮を呼ぶ汲み取り屋「汚わい屋」という組織の設立物語である。軍部が台頭しているとはいえ、一方で、まだ共産党的、プロレタリア的文学も閉塞してはいないのである。作者火野葦平も、時代の社会正義としてプロレタリアの洗礼を被っている。この作品は、そういう視点で、汲み取り屋の組織的変遷を政治に絡めながら、無学な主人公がそれに翻弄されていく物語である。この職業には、人権的歴史が濃厚にあるが、そういう差別的視点はなく、あっけらかんとした主人公を作者は創出させていく。この作品が選ばれた理由は、しかしその「文体」が実験的だった点にあるようだ。小説の語りというものが宿命的なように、その語りの中に、会話をどう取り入れるかが、ここでもまた吟味されているからである。間接話法が、作者の小説語りにどう溶け込むかが実験的なのである。間接話法として鍵『』つきの会話を一切排除して、それを語りの中に組み込んでしまう手法は、しかし、読むのにとても難儀がある。この作品は、それで、小説全体の調子をとても重くしている。小説の前半半分を読むこうらいでは、おいそれと感情移入することができない。一段落もぎっしりと長い。しかし、しだいに、単なる汲み取り屋の商売が、組織的になっていくためには、この重さは避けられないということであろうか。

 この賞を受賞した、火野の受賞の言葉は、戦地満州からのもので、従軍しているのである。その、感想が他人事のように書かれているのもおもしろいことである。